041-060
【自分のためには生きられないから】
名は父のもので姓は母のものだった。剣は隊のもので、その命はキャラバンに赦されていた。喝采もなく、照明もなく、どんなパロも彼女の前には水を湛えることはなかった。指を飾る石も、愛を囁くルージュも、風に揺れるドレスでさえ、何一つ与えられはしなかった。彼女は一枚の封筒を見る。くしゃくしゃになった招待状に記されるのは己の、己だけの名前。今更どこへもゆけはしないのに。呟く彼女を、海上高く鳥だけが聞いている。
(エラン)
【壊して埋めておいたはずなのに。】
【少年はナイフに孕む】
突き刺した腕からは、赤い血。その匂いが変わらないことに彼は安堵した。まだ、血の匂いがする。このまま血が流れ出て行けば自分はどうなるのか。天使である以上、肉体が滅んだとて意味がないことはわかっている。それでも、この体を捨て去ることが出来たらどれほどに楽か。霞がかる甘い思考を遮る様に、ビクンビクンと彼の身体が痙攣する。血の香りが花の匂いに蹂躙される。翼を切り落とす勇気は、今の彼にはまだ持てはしない。
(ツェツィーリヤ)
【亡国の春】
【バカみたい、死んだらすべてが終わっちゃうのにね】
その言葉が滑り落ちたのは、永遠議会の最中だった。昼下がり、純粋な光。白亜の塔のテラス、眼下の眩い蒼。本来満たされる席は12より一つ欠け、声の主はただぼんやりと外を見遣る。視線の果てには魔力の網、鳥籠、彼女たちを護る究極の愛のかたち。出口のない呟きには誰からの肯定も否定もなく、沈黙が潮騒とワルツを踊る。理解らないな。美しく整えられた爪先をぶらぶらと揺らしながら漏れた声も、またゆっくりと消えていく。
(フィガロ)
【殺戮を正当化 (生きるためには仕方が無いなんて、それは逃げ道)】
【墜ちていく太陽に笑った】
アンジニティに来た時、世界は夕暮れだった。真っ赤な空。真っ赤な夕陽。忍び寄る夜の愛すべき足音。視界いっぱいに大きな、燃える太陽が沈んでゆく。眩しい、怖い、太陽、死の匂いと灰の気配の象徴。この世界がアンジニティたる所以を直感的に理解した。朝も知らないサド裁判官め。自分の身体も赤く染まる。はじめての、世界が夕焼けに支配される光景に膝が笑いそうになりながらも、彼は太陽が墜落する様をずっと見ていた。
(マタル)
【暗闇の果てを指差した (いつか逃れられることを信じて)】*
この世界の果てには隔壁があるという。流浪の地に聳え立つ虜囚を囲う最後の障害。それを夜明けと呼ぶものもいるだろうとはなんとなしに思う。この街を出て、隔壁に辿り着いたらお前さんはどうする? 傍の白く背の高い男が笑う。どうするかな。掌の上で22枚の意匠が踊る。"曉"のカード。夜明けとは死の再生だ。つまり。どれだけ歩みを続けても明けない夜が確かに存在したっていいじゃないか。
(マタル)
【明日がないことを知っていました】
【心が潰れてしまう前に】
どれだけ綺麗に装ったって、彼がわたしの手をとることなどないのだ。抜け出した舞踏会。白い息。ヒールを折って、裸足のままに追いかけた。しがみつきこちらを向かせて、呆れるほどの接吻を。閉じた瞼、耳に届くのはなんて物悲しいワルツ。それを夢見る現実と夢の境目を彼女はしばし見失う。シュラル? 目眩から彼女は目覚める。なあに、と微笑む姿は完璧だ。彼女たちにこの惨めさは知られたくなかった。少なくとも、まだ今は。
(シュラル)
【腐った未来しか思い浮かばない】
皇帝が何をしてくれた。侯爵が何をしてくれた。明日も明後日も、何も変化のない今日。コインを投げてもどちらも表で、どちらも裏だ。謳うことで変わる未来があるなど、皇帝閣下の庭だけの話。託宣士はこんな路地裏の野良猫たちに唇を裂いてはくれない。響く声は、暴力と色の叫びだけ。遠い月の静寂に照らされた皇宮を見上げて、彼は石ころを蹴とばした。
(マタル)
【君の死を泣きながら拒絶した】
【死に安らぎなどを見出してはならない (かえれなくなる)】
【海底に沈んだペリスコープ (periscope→潜望鏡)】
一振りのギターが沈んでいった。どんな音を奏でたのか、どんな人に所有されたのか。それは全て海の底。どれだけ慈しんで爪弾かれたのか、どれだけ愛しい人の名で呼ばれていたのか。それも全て波が攫う。7つの国の言葉が記された小さな看板の根元にそのトケは横たわる。何を繋いでいたのか。何を乞われていたのか。いつか人魚が触れた時には、きっと歓喜の音色が溢れ出す。けれど今はまだ世界で二人しか、知らない。
(エラン)
【過去を指でなぞってみた (死にたくなった)】
【君が最後に笑った瞬間】
【君なんかにさようならは告げない (必ず帰ってくると誓う)】
volver、と口にするたびに世界が円く繋がるような予感がする。鎖の気配。じゃらり、とそれは私を何かに繋ぎ止めようとしている。何かに。何に。繋ぎ止められるなら繋ぎ止めればいい。翼を奪うのなら奪えばいい。それでも私は飛んでゆく。円を支配する世界の律のままに。まつろわず流れゆくのだとしても、それはきっと、また回帰すると信じている。いつか、帰るところへと。
(エラン)
【僕の悲しみで世界が救われるのならば (お願い、英雄になんてならないで)】
【魂を喰らった、それで彼女が救われるのならば死んでも構わない】
己の首に手を伸ばす彼女は、思いのほか軽くて小さくて、そして良い香りがした。長い旅路を経て、はじめてそう気付く。はじめて。彼女の根付きは己に在り、またいつでも容易く摘み取ることが出来るのだと、疑いなく確信し続けていた。ただ、今、はじめて花の香りに好意を抱く。その暖かさも、存在も同じく。ふと、その首筋に噛みついたら酷く甘いような気がして、彼はそれもまたこの花を摘むものの特権だろうとしばし目を伏せる。
(ツェツィーリヤ)
【君が生きているのなら僕は幸せだから】
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