061-080
【無過失の戦犯】
覚悟がなかった、なんていったら嘘。けれど、虜囚の明日となれば。後ろ手に回された手首に錠の落ちる音。大量虐殺幇助。それは遠い国の言葉のよう。好きに炎と紅を散らした。鋼の軋む音。硝煙の香り。瞬く銃声。己と絶えず共にあったそれらにさよならを告げる覚悟はなかったのだな、と連れ去られながら思う。だいすき。呟く声に、敵方の兵士が不思議そうに見遣る。蠍は、メビウスの輪から抜け落ちるのだ。永遠に。
(欧月)
【死人に回帰】
おやすみなさい。貴方は私にくちづける。おやすみなさい、また次の私を護って頂戴ね。そうして貴方は眠りに落ちた。私の美しい女主人。遙かな時の果てにいつか目覚めがあるとして、その時貴方はこの世界のすべてを忘れている。旗の色も、彼の人たちも、私でさえも。私は貴方に全てを誓い、護り、慰め、貴方だけの為の忠実な獣であり続けるというのに。私は、貴方と共に永遠に溶け行くことさえ、出来はしないのだ。
(アルエとローレライ)
【夕闇すらも欠けた空の下で】
我らが何をしたのだと嘆く民がいた。この汚れた民がと唾棄する貴族がいた。彼女は己の皇宮から西の方角をただじっと見つめる。いつからだとか、どうしてだとかとか、そんな人並みの感情はとうに失せた。その眼差しのずっと先には、世界の亀裂と明けぬ戦いの証。汚れた光はやがてこの西方領に射し込むだろう。我が領を導かねばならない。神と交わった舌が、もうどこにも無くとも。さあ、この夜の世界で唯一の夜明けが、来る。
(ライラ)
【あの夏をもう二度と、】
屋敷の前に広がる風景は、あの日と変わらず風に揺れていた。青い大空。緑の草原。白い羊雲。あの日、ふたりであの島から帰ってきた時と何もかわらない。ハートの形の青石が腰で揺れている。彼女は時を逆巻く力を持たない。もう、あの日は二度とは戻ってこない。振り払ってしまった手の暖かさがうららかな太陽の熱と同化して、ゆっくりと溶かされ消えてゆくことさえも留められない。彼女は泣きながらただ立ち尽くしていた。
(欧月)
【人形になる前の君】
凋落した姫君とはかくも惨めに美しいものなのか。はらはらと血の気のないその頬を涙が伝ってゆく。護るべき家を失い、愛した許嫁を失い、何が彼女をこの器に留めているのか。触れれば涙を拭うより先にこのかたちは砕け散るのだろう、最早ひとではない己がそう思う滑稽さよ。あなたが俺の、俺だけの姫君なら、このまま連れ去ってしまうものを。少しばかり強欲にも今はもう失われた心臓の位置から、そう願った。
(絳紅姫と錦上添花)
【指先からこぼれ落ちた、涙】*
苦しい、と思った。その事実に気がついた時、次に蘇った……脳裏に翻ったのは、華燭という言葉だった。口にする。それが何を指すのかはわからない。唇から音が漏れる。息も。喉の鳴る、振動の感覚。苦しい。息が、苦しい。息が。肺が。鼓動が。視界が滲む。それが何を指すのか知らない。ただ眦に触れた指が濡れた。熱く、冷たい。華燭。わからない。けれど 生きている。生きて、いるのだ。今、わたくしは、華燭と名乗る生命として。
(華燭)
【瞳に震えた夏の空】
【ひとり足掻き】*
足掻く、という言葉の意味を彼は考える。諦めきれず苦しさから逃れようとする行為。救われたくて、変わるともしれぬ未来のために己を磨耗する行為。馬鹿らしい、と思う。咲かぬ花に水を遣るひとがいるだろうか。変えたい未来があるのなら、その手番に来るまでに引くべきカードを変えるべきだった。その、ワンアクションではなかったのだ。あの日の、いつかの。馬鹿みたいじゃないか。呟く声は音にならずに霧音に呑まれて消える。
(アンリエット)
【君の死体から咲いた花はとてもとても綺麗でした。】
ある春の日に、彼女はいつもその岩の上に寝そべる。鳥の声と瞼に感じる昼下がり。この岩の下には大好きだった人が眠る。血の匂いはもうしないのに、どれだけの時が巡っても変わらない今日がここにある。目を開ければ、滲む視界に桜花がちらちらと散っていた。ちりぬるかぜのなごりには。過去から彼の声を聞く自分はどうなればよいのか。伸びた髪が舞う。綺麗だと彼は言ってくれただろうか。今年も空に、桜は波を描いている。
(桜華)
【モノクロ世界に終止符を。】
世界は黒く汚れていて、それを白く綺麗にするのがお前の役目なのだと彼女は聞いて育った。黒を白に。白に、全き白にと、髪を梳かれた子守唄。けれど、彼女が生まれて最初に見たものは、草原の色を宿す青年だった。リト。優しい声で、彼女は今日も目覚める。柔らかな日差しが、彼の髪に照り映える。彼と手を繋いで歩く度に世界に色が芽吹いてゆく、その薔薇色の感情を何と呼ぶのか、彼女は終ぞ知らない。
(マルガリタ)
【目の前で君が死んでいくのすら止められないまま】
叫び声は声にならず立ち消えた。押さえつけられた身体は重く、じわり上がった空間の熱量に息を零す。強制的な剥離行為が空間に形どるのは紅緋の影。幾年も己と溶け合っていたその姿はいつも変わらず美しい。視線が絡む、視界が滲む。指先一つ、持ち上がらない。ああ、心も体もこれほどまでに痛いとは。見つめ合うことが赦されたのは、ほんの数秒。夢が終わる名残に似て、ゆらめく炎は消え去った。
(マタル)
【絶望と懺悔を孕んだ瞳】
【純朴な獣】
悲しい夢から彼女は弾きだされる。動悸、そして静寂。呼吸を整え隣を見れば、眠っていたはずの彼と視線が絡んだ。この暗闇にあっては良くは見えないはずの彼の指が目尻を拭う。少しの躊躇いの後に、彼女は男の胸に指先ひとつだけ、触れた。かつては極めて理性的に言葉の翼で律しあっていたというのに、今では時折一回り年上のこの男の肌に慰められたい自分に気付く。熱情の獣たちは、今はただひっそりと穏やかに体を寄せ合って眠っている。
(エラン)
【神は居たか?】
【神の名前を騙ったただの人殺しじゃないか】
そう叫ぶ声が彼女の耳朶を打つ。この岩で囲われたばかりの暗闇の中で、宛ら差し込む僅かばかりの光の粒子のように。幻、けれどそれは眩かった。もうこの瞳は何も見はしない。この声も届きはしない。愛しい御方、どうかそのように泣かないで。それだけが胸に募る。貴方のためならわたくしの全ては塵芥に等しい。愛しい御方、どうか、叶うならば
(ああ、ああ、あなたは誰?わたくしの知らないわたくしも、またあなたは)
(華燭)
【瞳を焼いた色、無音の夏の日】
【ラヂヲから流れ出る音に意味もわからずただ涙した日。】
それはある淀みのない春の午後。新しくできたというカフェで四人でお茶をしていた時のこと。微かに店の背景音として流れはじめたその放送に、彼女は弾かれたように席を立った。周囲の視線。己の名を呼ぶ声。いえ、それよりも。聞き間違えるわけなんてない。だって己の細胞はこの音の粒子で作られているのだから。音楽は続く。歌は彼女を巡り、残響は風に揺れる。置いていかれて悔しい。懐かしい。寂しい。でもやっぱり、愛しい。
(シュラル)
【そうして彼は死んでしまった】
それだけの物語じゃないか。紫煙の向こうから声がする。死んではおらぬ。返す言葉は僅かに震え、それを彼女は恥じた。これでは、半分は認めてしまったようなものではないか、それが伝わらぬこの女ではない。案の定、喉の奥を鳴らす獣めいた笑い声がする。儂の気持ちがお主にわかるものか。笑い声。青いな、飾声の。そのような声では、まるでただの女だ。声が高らかに踊る。それでは、喰われてしまうぞ。西も、お前も、この私に。
(シャマールとライラ)
【今は亡き彼に告ぐ】
何度目かの季節が巡ってきた。朱雀京の現状は随分と遠い風に流れて彼女を呼ぶ。梅の香りは郷愁を誘わないのに、目にする桜や橘の樹木の芽吹きにはどうしてこんなにも心打たれるのだろう。己の掌を見つめる。今なら、私は。今度こそ、己と彼の夢のために歩むことができるだろうか。人も妖怪も共に傷つけ合わずに、憎しみ合わずに。もう一度、挑戦しようと思う。この夢の帰結がどうなるのかわからなくても。もう一度。もう二度と。
(桜華)
【もの狂う夏の夜の夢にして】
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